実は・・
私の大好きなこのブログも更新できずに4日が過ぎました。
その間の出来事を書きたいと思います。
土日(18、19日)休出で仕事だった旦那、火曜日(21日)からまた出張で木曜日(23日)に帰ってくるはずが、金曜日(24日)になったとの連絡をうけたとたんに・・・
涙があふれてきました。
一生懸命に安全な食品を探し、お弁当に、3度の食事、そして子供達の笑顔のために、色々な楽しみを見つけようと頑張り、来た荷物もさっさと片付けて普通の生活が送れるようにと一人頑張ってきました。
上海に行けば旦那と家族が揃って笑顔で過ごせると思い、あいなの進学(インターナショナルスクール)やせいやのやりたかったサッカー(部活動の活動日が日本人学校では火曜日、木曜日のみそれも1時間だけ)やそうた、ゆうかの幼稚園やスイミング、そして何より自分が笑顔で居るために、日本でしていたヨガやアレンジメント教室を探したり、地域を知るために色々と出かけて地理を覚えたり、新しく出来た友達との交流を一生懸命に頑張っていました。
だけど、現実はそうではなかった・・・
旦那を責めることは簡単だけど、勤め人、そして自分が好きな仕事でやっと旦那も慣れてきた矢先の出張の延長。
木曜日に子供達が帰ってきた後、晩御飯を食べながら相談しました。
出張の多い旦那、ネット回線の不調、言葉の通じぬ環境、車の無い生活、そして安全な食べ物のないこの生活をやめて、旦那が居ないけれど、言葉が通じて、衣食住が安心してできる日本の生活に戻るか・・
一番に泣き出したのがせいや・・・
いっつもおちゃらけてマイペースでなーんも考えていないようなせいたが、「パパが居ない生活が耐えられない・・上海に来ればパパと過ごせると思っていたのに・・言葉も食生活も不満だらけ・・もう日本に帰りたい。」
私は正直、食生活に不満、環境(空気の汚さ、ほこり、物の値段の相場もわからず、毎日タクシーで、徒歩でお出かけしないといけない不便さなど)を不満を持っていたけれど、子供達が笑顔で居れるなら私も頑張ろうと思っていました。
あいなもやっと慣れてきた学校生活、出来た友達の交流、楽しみの修学旅行の役割、数少ないけれどやってみたかった合唱部など上海の生活を満喫しかけた時だったのであいなは残りたかったみたいです。
が出張の多い旦那が居ない上海の生活にはやはり寂しさと不安を抱えていました。
なによりそうた、ゆうかが旦那に会いたくて会いたくて毎日旦那の居る朝に「パパ!仕事休んで!!いっぱい遊んで!」
って訴えている姿をみると、とっても悲しくなりました。
もちろん日本に帰ったらさらに旦那に会えない日が続きますが、
言葉の通じる日本、おじいちゃん、おばあちゃんそして友達のいる淡路での生活が待っています。
夜みんなで考えて「どうする?」「帰る?もう少し居る?」「ばーちゃんに会いたい!」「温泉いきたい!」「ラッキーに会いたい」「美味しいものいっぱい食べたい!」
それぞれに思いを吐き出しました。
皆が寝静まった後、一人考えました。
どうすることが一番子供にとって、家族にとっていい方法か・・
金曜日は普通に起きて、お弁当を作って持たせ、あいな、せいやは学校に・・
そして幼稚園の送迎バスの時間まで色々と考えて、「日本に帰ろうと・・」
幼稚園に「今日はおやすみします」
と連絡を入れて、その後、スーツケースに3日分の着替え、お金で買えないもの、そして自分が一番大切なものをそうた、ゆうかのリュックに入れさせて、上海で知り合った旅行会社の友達に連絡を入れて、飛行機のチケットを取り、あいなたちが帰ってきてからだと金曜日最終の飛行機に間に合わないので空港近くのホテルを取って(これまた中国語と片言の日本語の対応)5人と荷物じゃ1台のタクシーは無理なので、迎えに来てくれたときに使ったタクシーの名刺を頼りに大型バンのタクシーをお願いしたりしました。(たまたま乗り合わせていた日本人の人が色々と助けてくれました。)
その後、休んだことを知った幼稚園の友達が着てくれて、色々と話を聞いてくれたり、TELをくれたり。。
だけど、もう決心していたので、「ごめんなさい・・もう疲れました・・ありがとう。。」
と伝えました。
やっと慣れてきた幼稚園に行きたがっていたそうた、ばーちゃんに早く会いたくて朝から準備したリュックを背負って出かけようとするゆうかをなだめながら、短かったけれど、6人で過ごした上海を部屋をながめながらずっと泣いていました。。
不安、寂しさ、日本の淡路の自然や環境の豊かさなどを恋しく思い、ずっと一人抱えていた感情があふれ出し、つらく悲しく、そして、旦那をどうにかしてでも皆と一緒に日本に帰れるかを考えていました。
あいな、せいやが帰ってきたらスーツケースに着替え、自分の大事なもの、持って行きたいものを最小限に詰め込ませて、頼んであったタクシーに乗り込みました。
「パパ帰ってきたらびっくりするやろな・・」
「一緒に日本に帰ってっていう!」
「パパどうするかな・・」
皆それぞれに思いを言って泣き出し、とっても笑顔とは程遠い帰国の道になりました。
タクシーもお願いしていた場所ではないホテルで下ろされて・・
なんとか1時間後朝頼んだホテルに行くことが出来ました・・(-_-;)
ホテルについて、旦那が家に帰ってくる時間になったので(日本の携帯を持っていっていたのですが、番号表示がでないので何度か誰かから着信があったのですが・・)一度電話することにしました。
せいやが「俺がかける!」
といって電話をして「日本に一緒に帰ってほしい。。空港近くのホテルにいるから来て。」
そういって電話を変わり、怒りじゃなくお願いになった私達の気持ちを電話で伝えて、「子供達がどうしてもパパに会いたいからすぐに来て・・」
そういうのがやっと・・
おなかのすいた子供達とホテルのレストランで美味しい中華を注文してまっていました。
約1時間後(浦東のマンションから空港まで約1時間)携帯に着信が・・
「どこにいるの?」
「2階のレストラン」
姿の見えたパパを子供達が回りも気にせずに走り出し・・
飛びついて喜んでいました。
「こんなにパパを必要としているのだから一緒に日本に帰って・・」
「仕事も大事なのはわかるけれど、子供達の父親はパパ一人なんだよ・・」
「パパの居ない上海は息苦しく、食生活、ゆうかの肌荒れのひどさにももう耐えれない・・」
「パパともっと話したい!」
せいやが泣きながら言っていました。
「私はやっとなれた学校と離れたくないけれど、パパが居ない生活、上海の食生活はしんどい・・」
とあいなが・・・
そうたも朝からずっと泣いている私や、あいな、せいや、ゆうかには今まで涙を見せなかったけれど、旦那には思いっきりないて「一緒にいて・・」「パパは仕事ばかり!」
って初めて泣き出して怒っていました。
部屋に上がって、それぞれに言いたいこと、思いをすべて旦那に伝えて、朝早くにホテルを出て飛行機に乗るので一人一人甘えて、お風呂に入って寝ていきました・・
せいやがやはり一番つらかったのでしょう・・
いつも誰よりも先に寝るせいやがぎりぎりまで起きて「一緒に居て欲しい、遊んでほしい、たくさん話したい!」
と・・・
皆が寝た後も、旦那の気持ちも十分に聞き、そして私達の思い、子供達の今後のこと、そして、現実にどうするかなどずっと話し合いました。
子供達の笑顔をこの上海生活3週間で見たのか?子供達と本当に心から楽しんでいたのか?
など色々と本当に色々と話しました。
結局、旦那は20年続けて仕事をやめるわけにはいかず、でも私達に上海に居て欲しいと・・
だけど、私は上海の生活は子供達の笑顔をうばってしまう。私も疲れたし、子供達もパパがいないことが多い生活だと日本でも同じ。
それなら誰かに甘えることもできる日本がいいと。。。
ほとんど徹夜に近い状態で朝を迎え、ホテルからのバスに乗り込みました。
パパも目に涙をうっすらとため、見送ってくれました。
関空に12時半につき、リムジンバスで淡路に帰ってきました。
随時旦那に電話を入れて、パパに未練のある思いをそれぞれに伝え、
「待っているから日本に帰ってきて・・」
と・・・
疲れで気力も体力もないまま迎えに来た実家の親に乗せてもらって実家に・・
でも自分達の家は別にあるので寝るのは自分達の家で・・
その思いをかなえるために、なーんにも無い家にあいなと二人買い物をして実家に戻り、美味しいご飯(そうた、ゆうかは生卵のあつあつ卵ご飯をおなかいっぱいに食べました。)を食べて一休み・・
実家の親と色々と話、観光と実際に住むのは違うこと、あいなの進学、せいやのやりたいサッカーのこと、そうた、ゆうかの環境、そして一番大変だった食生活、言葉、環境をなどを伝え、勝手だけど、日本での生活を選んだことを伝え、助けてほしいと・・
「貧しくても、6人での生活がしたい・・」
そういっていたあいな、せいやの気持ちを伝えたけれど、旦那にとっては自分が一生懸命に働くこと、今の環境をなんとか乗り越えて、また何年後かには一緒に生活することを願いながら頑張ることなどを伝えました。
旦那も子供達と離れるのは寂しく、出張の無いに日には一人寂しく過ごすマンションのことを考えるとつらいと・・・
最後の最後にぽろっともらした言葉を思い出し、子供達の笑顔(自然と出てくる心からの笑顔)を大切にしたいからみんなで決めたこと。
言い合い、喧嘩で離れ離れになったわけではないことなどを言いました。
夜は3月末まで住んでいた家に戻ってゆっくり寝ました。
日曜日は、実際に生活していくために何が必要なのか、何から手続きし始めたらいいのかなど考えて、夜は旦那の実家に報告に・・
「旦那と一緒に生活できずにすいません・・子供達は旦那と過ごしたかったんだけど、出張の多い生活で異国の生活がみんなに合わずに帰ってきてしまった・・」
と・・・
「大変だったね。。こっちで頑張り。寂しいけれどまたパパに会えるよ・・」そういってくれました。
美味しいお刺身を食べて上機嫌なゆうか、そうた。
まだ複雑な思いのあいな、せいや。
日本の豊かさ、物の豊富、上海での短かったけれど経験した生活を生かして、自分が住む日本での生活を一から考えなおし、心豊かに生活したいと・・
月曜日、昨日は朝から教育委員会に学校、保育園の手続きに・・・
学校、保育園にも足を運び、編入学の手続き、準備物などを聞き、買い揃えに行き、今日から新しい中学校に通うことが出来るようになった、あいな、せいや。
そうた、ゆうかも本当なら3月末まで通っていた保育園に行きたかったけれど、人数がいっぱいで入れず、来年小学校のそうたには学校も同じになる近くの保育園に入ることが決まりました。
保育園に行きたがっているそうた、ゆうかも今週金曜日の5月1日からいけることに。。
スイミングも今まで通りいけるように木曜日に申請していきます。
4日間大好きなブログの更新もできる気力もなかったけれど、やっと学校に、保育園にいけるようになった子供達。3月末までと同じように生活できるようになった嬉しさ、そして、色々な手続きに追われているうちに寂しさも悲しさも落ち着いてきました。
ブログには本当に楽しかったこと、嬉しかったことを書き続けてきたので、ギャップのある方もいるかと思います。
でも子供達にとって何が大切か、何を思いながら過ごしていけばいいのか?を考えるきっかけになりました。
人と比べず、元気に、笑顔で自分が出来ることを一生懸命にして家族がみな笑って過ごせるようにこれからも頑張りたいと思います。
今日は文字ばかりそして、マイナスなことも多く書きました。
でもこれが実際の出来事でした。
これからもどうぞよろしくお願いします。
明日からはまた元気にブログ更新できたらいいなぁと思っています。
ありがとうございます。